今回は長距離移動の濃密なツアーになりました。各地の重要な遺跡や博物館を廻りながら、今回も参加者間でのミニ講演や情報交換が貴重なものとなりました。
初日は鳥浜貝塚・若狭三方縄文博物館・年縞博物館(福井県)でした。

鳥浜貝塚からは1万年以上前の地層からアフリカ原産のヒョウタンが出土しています。

出土した大きな丸木舟に乗って縄文人は外洋航海を行なっていました。

一年ごとの沈殿槽が数万年間にわたって綺麗に並んでいます。これを数えると姶良カルデラの大噴火は2万9千年前と言われていましたが実際は約3万年前になるそうです。
二日目はフォッサマグナミュージアム・長者ヶ原考古館・馬高縄文館(新潟県)です。

糸魚川は日本随一のヒスイ原産地で、遠くの地域にまで運ばれて使用されていました。

新潟県からは多くの芸術的な縄文土器が出土しています。どれも素晴らしい作品です。
最終日は茅野市尖石縄文考古館・釈迦堂遺跡博物館・星くそ博物館(長野県)です。

15名の旅行でしたが各分野の専門家が多く濃厚な相互交流ができたのも大きな収穫です。

縄文のビーナスや縄文の女神など素晴らしい土偶の展示が並んでいました。(一部レプリカ)

土器型式の変遷が時代を追って分かるように並んでいました。時代によってかなり違います。

長野県は黒曜石の一大産地です。「星くそ館」ではダメだと原田元環境大臣が施設の方にきつく苦言を呈されていました。もっと誇りを持てるネーミングが必要ですね。
令和7年4月28日(月)~30日(水)の2泊3日で縄文ツアーが開催されました。

大平山本遺跡。ここのⅠ遺跡から約1万6500年前の縄文土器が発掘され、それまでの常識を大きく覆すことになりました。縄文時代のはじまりが大幅に遡りました。ただし、初期の土器には縄目文様はなく無文です。
むーもん館と三足土器。三足土器の祖型が見つからないことから、これは殷(商)の三足青銅器の鼎が祖型だと考える学者もいます。おそらく周に滅ぼされた商の人々が日本に帰って来て造ったのでしょう。東北地方からは商の青銅器そのものが出土しています。
移動中のバスの中では参加者講師によるミニ講演会。各分野の専門家が集まりましたので、とても内容の濃いお話を聞けました。このツアーの一つのメインイベントとも言えます。めったに聞けない秘密のお話もありました。
三内丸山遺跡。やはり何回見ても六本柱は圧巻です。雨の中の三内丸山もなかなか趣がありました。大型竪穴住居は中で運動会ができそうなくらい広いです。集落のみんなが集まって何か集会をやっていたのでしょうか?
キリストの墓と、弟のイスキリの墓。信じるか信じないかは貴方しだいです……。
奥入瀬渓流を散策。みなさん歩くのが早くて驚きました。安心型の体系をされたバスガイドさんがフウフウ言っていました。このガイドさんがまた最高で、まるで吉本芸人のようで話芸に長けていました。実際に吉本にスカウトされたことがあるようです。
去る9月25日(水)午前10時より第12回縄文道塾が開催されました。
平日の午前中という集まりづらい時間帯にも関わらず54名の参加者で大盛会でした。
定員50名を超える方々にご参加いただきました。
縄文道研究所の加藤春一代表理事による『温故知新論 日本は復活する』。この縄文道塾を提唱され主催されている縄文リーダーです。
地球つながり道の浜田真悟先生による『盂蘭盆会(聖母被昇天)と神在月の間に隠された縄文レイラインの暗号』。パリ大学で原子力博士号を取得されています。
NPO法人歴史人物学習館の伊勢雅臣理事長の『縄文から学ぶ食の安全保障の原則とグローバリズム』。演題のごとく貴重な視点からのお話しでした。
Ken consulting㈱の本多謙代表取締役から縄文道チャンネルのご説明がありました。本多代表は英語版の作成にご尽力いただいております。
ヘルスリテラシー研究所の猪狩公美代表の『縄文の神秘と精神性を探る。愛好家が探る心の豊かさ』。会場に笑いと笑顔が広がるお話しでした。
MONOPOST鳥山倫靖社長による『誰でも発明家になれるー縄文人スピリットで』という一風変わった講演。職業が発明家という異能異才の社長です。
クラブジョーモニアの提唱者である田村慎吾代表の『クラブジョーモニアの説明』。これから全国への展開を目指す縄文村の村長です。
前回に引き続き、新宿アイランドタワー20階会議室にて開催されました。会場をご提供頂いております㈱ディ・シー・エスの三浦会長のご厚意には心より感謝申し上げます。
加藤春一代表(一般社団法人縄文道研究所 代表理事)の講演『均衡進化論 縄文人と縄文文化』。「縄文道」という呼称がしっかりと定着してきたように感じます。毎回の講演会にも多くの方々がお集まりいただくようになりました。
澤井直明様(澤井コンサルタント代表)の講演『縄文文化と言霊情報学』。日本語の言葉の不思議な力を感じることができました。時間が短すぎて失礼しましたので改めてご講演をお願いしたいと思います。
田中日出男様(公益社団法人マナーキッズプロジェクト理事長)の講演『縄文人の機に逞しく、強く心身を鍛えよう』。子供のころから縄文人のように逞しくしっかりとした人間教育が必要だと感じました。腰を立てることが重要とのことです。
安達弘先生(NPO法人 歴史人物学習館館長)の講演『教育現場での縄文文化』。学校教育の場での子供たちの様子が生き生きと伝わってきました。縄文は子供たちにも大きな関心をひきつけ興味を掻き立てるようです。
ランチ休憩での持木将平さんによるマジックショー。やはり縄のマジックです。楽しい息抜きの時間をありがとうございます。
今回も参加者の皆様からスピーチを頂きました。これから講師をお願いすることになるであろう方々ばかりです。会場をご提供頂いております三浦一志会長。
縄文道チャンネルの管理者廣岡さん。チャンネル登録をお願い致します。



今回も内容が濃すぎて時間が全然足りませんでした。講演会終了後には希望者により懇親会が開かれ、長い時間に渡っていろいろな会話や情報交換が行われていました。

新宿アイランドタワー20階会議室にて開催されました。定員50名を超える応募がありました。㈱ディ・シー・エスの三浦会長のご厚意によりまして無償で利用させていただいております。
一般社団法人縄文道研究所の加藤春一代表。縄文道塾の主催者による講演「四則縄文」。
ワンダーワークス田村槙吾代表。「縄文世界平和論」のご講演で、クラブジョーモニアを提唱されております。
高崎有津胡さん。食と身体のヨロズ相談の代表で、縄文食の素晴らしさをお話しいただきました。
「8月8日はハートの日」の畑アカラ代表。「8」の専門家であり、縄文とハッピー8に関してのお話し。
北村龍児さんによる縄文ツアーのご案内。とても内容の濃いツアーを企画される専門家です。次回は9月28日・29日の一泊二日です。(案内別途)
㈱ディ・シー・エスの三浦一志会長。「生源」のご説明。信じられないと思いますが、自分はこれを飲んで失明寸前の左目が見えるようになりました。詳しくは是非ご説明をお聞きください。
美味しい昼食を食べながら持木将平さんによるマジックショー。英語と中国語で手品をされる方です。縄文だけに縄のマジック。
昼食後には参加者の皆様からスピーチを頂きました。錚々たる方々ばかりで順に講師をお願いしていくことになります。


あまりにも内容が濃すぎて時間が全然足りませんでしたが、とても充実した会合となりました。

黒瀬海岸(鹿児島県南さつま市)は神渡海岸とも呼ばれ、この海岸にニニギノミコトが初上陸したと伝わります。

石碑が二つ並んで立っていました。左下のほうにはお酒がお供えされていました。

岩場ですが傾斜のなだらかな海岸であり、丸木舟の上陸には好都合だったことが分かります。日本神話は事実に基づく伝承です。カリマンタン辺りから北上してくると最初にこの海岸に達することは合理的に理解が出来ます。

弊立神宮(熊本県上益城郡山都町)と春木秀紀宮司。宮司からいろいろとお話を伺い貴重な資料も拝見させていただきました。弊立神宮では日本民族が世界中に出て行って帰ってきたと伝えています。自分(澤田)の推論も同じです。世界中には様々な肌色の人がいることを伝える、色の異なる五色面が秘蔵されているそうです。ここが山都(ヤマト)という地名であることにも意味があるのだと思います。春木宮司ありがとうございました。

豊玉姫神社(鹿児島県知覧町)。豊玉姫は海神(わたつみ)の娘で、皇室の祖であり孫が神武天皇と伝えられる。日本道の山近代表の結婚式に参加してきました。
ホテル京セラ。この中に長い廊下に日本各地の遺跡が紹介されていて石器や土器、土偶など様々な遺物が展示されています。無料ですが人通りが少なくもったいない。必見です。
西都原古墳群(宮崎県西都市)。4世紀から7世紀の古墳が300基以上あります。

宮崎県立西都原考古博物館①。展示物に映像を投影するなど工夫していて、銅鐸(復元)も実際に振って音を鳴らせます。とても見応えがありますがなんと無料です。
宮崎県立西都原考古博物館②。展示物に映像を投影するなど工夫していて、銅鐸(復元)も実際に振って音を鳴らせます。とても見応えがありますがなんと無料です。
美々津(宮崎県日向市)の海と立磐神社。神武天皇はここから旅立たれました。詳しくはコラムに書きましたので、そちらをご覧ください。

最後に西郷隆盛のお墓をお参りしてきました。ともに死んだ方々の墓がずらりと並びます。

全盲の大学者・塙保己一(はなわほきいち)先生の業績を称える温故学会会館にて開催。

約40名の参加者がお集まりいただきました。
皆さまのご協力を賜りとても熱気がこもった講演会となりました。

温故学会の齊藤幸一会長(左)と縄文道の加藤春一代表(右)

新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝先生に教科書のお話しをいただきました。

㈱DCSの三浦一志会長。戦後に根本中将の後ろ盾によって台湾に渡った日本の(そして世界の)フィクサー的な方です。

講演会終了後、温故学会会館に保存されている群書類従の版木の原版を見学しました。

その後で隣接している國學院大學の博物館を見学。この連続三角紋の色調は王塚古墳と同じで、百歩蛇信仰に基づくものです。

王塚古墳(福岡県嘉穂郡桂川町寿命)と百歩蛇(ひゃっぽだ)
百歩蛇信仰は今でも台湾のパイワン族に残っており、人は百歩蛇から生まれたと信じられています。百歩蛇とは噛まれると百歩しか歩けないうちに死んでしまうほどの猛毒を持っています。つまり人の生と死を支配していると信じられているのです。
モヨロ貝塚館
オホーツク文化の広がりと北東アジアの文化圏。
北東アジア人の祖先集団は縄文人でありアイヌであることが核DNA解析から指摘されていることを是非ご理解しておいてください。

オホーツク文化の遺跡群。モヨロ貝塚はその代表的な遺跡です。

これがオホーツク土器です。独自のスタイルを造ったようです。

10世紀頃からオホーツク文化は擦文文化に取り込まれ、トビニタイ文化と呼ばれています。13世紀にはトビニタイ文化も完全に姿を消し擦文土器が全道にそして千島・樺太に広がっていきます。やがて日本全国で土器文化が消滅し、土器名で時代を表現できなくなったためにアイヌ時代と呼称されています。(それでアイヌを別民族だと誤解している人がいます。)

オホーツク人も使っていた回転離頭銛です。縄文遺跡からも同じものが出土していて、オホーツク人も縄文人の子孫である一端が理解できます。

北海道北方民族博物館

イヌイットの竪穴住居。真ん中の穴を通って左手にある入口と出入りします。いったん地下に潜って出入りすることで外気の浸入を防いでいます。

北方に住む人々はクジラやアザラシなどの油を調味料や燃料にしていました。石皿に油を置いて火をつけるとまるでロウソクの火のような灯となります。油はその動物の腸に詰め込んで保管・運搬していました。写真の左上がそれです。

北方民族の弦楽器トンコリ。ただし南方の島であるカリマンタン(ボルネオ島)の人びとも同じ楽器を使っています。また口琴(ムックリ)も北方民族にも伝わり、ウクライナにも伝わっていましたが、これも南方の楽器でありアボリジニやマオリ族の人びとも使っています。

子供の遊び道具。ままごと人形も作っていました。今と変わらないですね。

鈴谷式土器。この型式の土器はアムール河口部の古金属器文化と北海道の続縄文文化との2つの土器系統の融合によって成立したと考えられており、これら2つの文化の交流を示す資料とされている。(文化遺産オンラインより)

令和5年6月27日の官報号外第134号の告示により、遠軽町所蔵の重要文化財「北海道白滝遺跡群出土品」が国宝に指定されました。日本の旧石器時代の石器製作の変遷や各種石器の組み合わせを良く示す資料として、歴史的価値が改めて評価されました。

日本国内には約80か所の黒曜石産地があるようです。

これが黒曜石です。旧白滝村は世界最大の黒曜石産地です。

黒曜石の石核から細石器をつくる工程です。

作成技法のひとつで湧別技法と呼ばれる製法です。

白滝村では黒曜石が大量に露出しています。
東京都埋蔵文化財センターと田名向原遺跡(令和6年5月22日)
澤井様と大森様にご案内頂きました。

隣接する「縄文の村」。縄文人はこのような竪穴住居に住んでいたようです。

落とし穴の復元。2mほど掘り下げて竹を差し込んで身動き出来ないようにしていました。

縄文時代特有の編布(アンギン)。試着しましたが意外と着心地よかったです。

田名向原遺跡は今のところ世界で唯一となる2万年前の定住遺跡です。

海外にも住居遺跡があると書いていますが、それも日本民族の住居址です。
それは「正しい歴史の見方」で解説してありますのでお読みください。

実際の住居址ですがお分かりになるでしょうか?

大森貝塚保存会会長の新美豊先生にご案内とご説明を頂きました。

エドワード・S・モース博士によって縄文文化の解明が始まりました。

モース博士が発掘した縄文土器も加曽利式土器です。

見にくいと思いますが、イボキサゴが大量に堆積しています。
シジミよりも小さな貝で、出汁をとっていたのだと思われます。
縄文食はコクのある美味な料理だったのです。

移動車中では加藤代表のミニ講演があり、充実したツアーでした。

神奈川県立埋蔵博物館の研究員の方からご説明頂き、土器実物を持たせてもらいました。

最後は茂呂剛伸さんによる縄文太鼓の演奏から楽しい懇親会で締めくくりとなりました。
