答え 【商(殷)代前期の銅器の文様です】
おそらく多くの方が「アイヌ文様」だと思ったのではないでしょうか。商(殷)の人々は銅器にまるでアイヌのような文様を描いていたのです。
大森貝塚(東京都)を発掘したアメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースも、出土した縄文土器をアイヌの物だと考えていました。また、モースを批判したオーストリアの考古学者ハインリヒ・フォン・シーボルト(小シーボルト)も、初期の頃とする縄文土器をアイヌ土器と呼んでいました。アイヌ文様と縄文文様を同質だと見ていたのです。
そして、大陸に渡った縄文人が商(殷)を創り、その銅器に縄文文様(今で言うアイヌ文様)を描いたのです。
答え 【ジョージア(旧グルジア)のクリスマスツリーです。】
ノーヒントでは難しかったかと思います。後ろに白人のおじさんが映っていますが、これはジョージアの伝統的なクリスマスツリーで、「ちちらき」と呼ばれています。
アイヌの文化を知る人であれば、これが「イナウ」に見えたのではないでしょうか?
イナウ
そしてこれはカリマンタンの諸民族の「削りかけ」と同じなのです。
削りかけ
つまり、南方の「削りかけ」、アイヌの「イナウ」、ジョージアの「ちちらき」は同じ姿恰好をしていて、同じく宗教的な意味を持っているのです。
これを成型したものが日本神道の「御幣(ごへい)」であり、つまり、これらの地域には日本民族の信仰の形式が見て取れるのです。
御幣
この他にもアルプス地方のクリスマス行事に日本民族の痕跡が見られます。
それは秋田の「なまはげ」です。アルプス地方のサンタクロースには「クランプス」と呼ばれる鬼が付いて歩きます。
クランプス
この写真は現代のクランプスであり西洋風になっていますが、20年以上前までのクランプスは秋田の「なまはげ」とまったく同じ鬼の顔をしていたのです。
そして現代のクランプスは毛足の長い毛皮のようなものを纏っていますが、20年以上前までは日本の「蓑(みの)」を着ていました。
その地方の人々は「なまはげ」と同じ鬼の仮面と、日本のものと同じ蓑を大切に伝え継いでいたのです。自分たちが普段は使わない蓑の作り方を大切に伝承していたのだそうです。
そして悪い子を追いかけて良い子になることを誓わせていたのですから、秋田の「なまはげ」そのものの伝統がアルプス地方にもあったのです。
このようにキリスト教の中にも日本文化が投影されているのです。
(残念ながらその20年以上前のクランプスの写真が入手できません。もし手に入る方がいらっしゃればご連絡ください。)