クイズ

答え 【商(殷)代前期の銅器の文様です】

 おそらく多くの方が「アイヌ文様」だと思ったのではないでしょうか。商(殷)の人々は銅器にまるでアイヌのような文様を描いていたのです。
大森貝塚(東京都)を発掘したアメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースも、出土した縄文土器をアイヌの物だと考えていました。また、モースを批判したオーストリアの考古学者ハインリヒ・フォン・シーボルト(小シーボルト)も、初期の頃とする縄文土器をアイヌ土器と呼んでいました。アイヌ文様と縄文文様を同質だと見ていたのです。
そして、大陸に渡った縄文人が商(殷)を創り、その銅器に縄文文様(今で言うアイヌ文様)を描いたのです。

答え 【①~⑨まで全てです。ここで違うのは⑩だけです】

 ここにあげた周以外の国はすべて東夷の国なのです。倭国と同じように「東夷伝」の中に記されているのです。つまり大陸に進出した日本の夷(今で言う縄文人)たちの国なのです。ただし、今回は深く踏み込みませんが、王家だけが東夷である国もありますので少し注意が必要です。

・井上秀雄他訳「東アジア民族史2―正史東夷伝」東洋文庫 6頁
『通典東夷序略』
〔夏の最後の皇帝〕桀けつ(在位前1818-前1766)が〔宮廷内で〕暴虐をほしいままにしている間に、諸方の夷が中原に侵入した。天命が革あらたまって、商(殷)王朝の成湯せいとう(武王)が〔夏の桀を〕討ち滅ぼし、〔諸方の夷を〕平定した。

・貝塚茂樹編「古代殷帝国」みすず書房 252頁
「殷族はもと東夷の種族であり、東夷南夷とほぼ同種の関係にあった。」
「殷墟発掘からえられた東海産のかずかずの遺品もまた、その証明となりうるであろう。」
「たとえば文という字を見よう。殷人はこれを先祖の名の上に冠して美称としているが、それは本来文身いれずみを示す字である。」

・井上秀雄他訳「東アジア民族史1―正史東夷伝」東洋文庫 3頁
『後漢書東夷伝』
〔『礼記』の〕王制篇に、「東方のことを夷という。夷とは根本の意味である」と。

つまり、東方(日本)から大陸へと進出した夷(今で言う縄文人)が東ユーラシアの国々を創ったのであり、夷は古代世界の根本となる民族なのです。
それは今、核DNA分析という科学的な解析によって証明され始めているのです。

縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史

『IK002(注:縄文人骨)の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の”根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった』
『縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統である』

夷(縄文人)こそが東夷(東ユーラシア人)の根本(創始集団)なのである。

答え 【ジョージア(旧グルジア)のクリスマスツリーです。】

ノーヒントでは難しかったかと思います。後ろに白人のおじさんが映っていますが、これはジョージアの伝統的なクリスマスツリーで、「ちちらき」と呼ばれています。

アイヌの文化を知る人であれば、これが「イナウ」に見えたのではないでしょうか?

イナウ イナウ

そしてこれはカリマンタンの諸民族の「削りかけ」と同じなのです。

削りかけ 削りかけ

つまり、南方の「削りかけ」、アイヌの「イナウ」、ジョージアの「ちちらき」は同じ姿恰好をしていて、同じく宗教的な意味を持っているのです。
これを成型したものが日本神道の「御幣(ごへい)」であり、つまり、これらの地域には日本民族の信仰の形式が見て取れるのです。

御幣 御幣


この他にもアルプス地方のクリスマス行事に日本民族の痕跡が見られます。
それは秋田の「なまはげ」です。アルプス地方のサンタクロースには「クランプス」と呼ばれる鬼が付いて歩きます。
クランプス クランプス

この写真は現代のクランプスであり西洋風になっていますが、20年以上前までのクランプスは秋田の「なまはげ」とまったく同じ鬼の顔をしていたのです。
そして現代のクランプスは毛足の長い毛皮のようなものを纏っていますが、20年以上前までは日本の「蓑(みの)」を着ていました。
その地方の人々は「なまはげ」と同じ鬼の仮面と、日本のものと同じ蓑を大切に伝え継いでいたのです。自分たちが普段は使わない蓑の作り方を大切に伝承していたのだそうです。
そして悪い子を追いかけて良い子になることを誓わせていたのですから、秋田の「なまはげ」そのものの伝統がアルプス地方にもあったのです。

このようにキリスト教の中にも日本文化が投影されているのです。

(残念ながらその20年以上前のクランプスの写真が入手できません。もし手に入る方がいらっしゃればご連絡ください。)