各先生より(寄稿順)

加藤春一先生(一般社団法人縄文道研究所 代表理事)

この度はホームページ 立ち上げ、誠におめでとうございます。
澤田健一代表の永年にわたる着実な研究の成果を、いよいよ世界中に広める機会が到来しましたね。

最初に貴職とお会いした時は、縄文アイヌ―蝦夷 説の講演会でした。
講演をお聞きして、直観的に「優れた分析力と洞察力に敬意を表すると同時に、学問的、な裏付けが必要と感じました。」
講演後の質問で「世界への伝搬、特に英語での発信には、歴史的体系的裏付けが必要だが準備と展望について」質問したことを記憶しています。

以来ご一緒に活動を続けながら、感じることは、澤田 代表の独自の見識を独自に書籍と講演を通じて発表すれば、考古学者、遺伝学者、文化人類学者が、むしろ解明して賛同してくれる歴史的流れになっていると思い始めたことでした。
特質するべきは、2023年12月6日のNHK BS 番組「今も残る縄文DNAの謎」の放映でした。この番組は国立博物館館長の篠田謙一博士が最高監修者として作成した内容です。以下結論です。

「縄文人はインドシナ、カリマンタン近辺から北上して、日本列島に約38,000年前に到着し、縄文人アイヌはDNAが同じ」

まさに澤田代表がかねがね書籍でも主張されてきた「縄文人南方渡来説と、縄文人はアイヌ―蝦夷 の説」を日本の最高権威が認めたことです。

筆者は瀬戸の陶祖の末裔として陶磁器に関心あり、縄文土器から縄文道にハマりました。又「春一」と言う筆者の名前は北海道のアイヌ、コタンを語った、有名な「コタンの口笛」の著者、石森 延男氏が命名してくれました。更に戦後、大連から引き揚げて栄養失調で虚弱児童の体を健康な体に回復して貰ったのは、曾祖父の住んでいた北海道の岩内でした。北海道とアイヌとは非常に強い縁と絆を感じます。

今後は澤田 代表の「縄文人アイヌが日本列島から世界中に雄飛し世界の主要文明、文化の形成に関わってきた。」という一本筋の通った主張が、広く世界に伝搬されますことを期待し、縄文道の立場で、微力ながら協力、貢献出来ればと思っております。
縄文アイヌ研究会と一緒に、広く世界へ縄文文化の価値を伝搬して行きましょう。澤田代表の益々のご活躍とご健勝を祈念しております。

伊勢雅臣先生(「国際派日本人養成講座」編集長、経営学博士)

伊勢雅臣先生

縄文アイヌ研究会ホームページの開設、まことにおめでとうございます。

澤田先生のご研究は、日本人の従来のアイデンティティを引っくり返す破壊力を秘めています。最新著『大和朝廷vs邪馬台国 古代、二つのヤマトの戦い: 縄文とアイヌ4』のあとがきではこう書かれていました。

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古代の技術や文化は大陸から朝鮮半島を経由して日本に入ってきたとする、これまでの見方は絶対に間違っているということである。太古の技術や文化は日本列島内で発祥したものが、大陸へと伝わっていたのだ。大陸がオリジナルで日本はコピーだと信じ込まされていたのは、完全にミスリードである。日本こそがオリジナルなのだ。[p242]
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この部分だけ読むと、「そんな馬鹿な」と一笑に付す研究者も多いでしょう。私自身も、そう考えていました。しかし、こういう態度はガリレオの地動説を、当時のキリスト教神学者たちが「そんな馬鹿な」と否定したのと同じです。

従来の学説からいかにかけ離れていても、学説の勝負は、どれだけ多くの考古学的、文献学的、遺伝学的発見を合理的整合的に説明できるのか、で決まります。それもせずに「そんな馬鹿な」で済ませていては、中世のキリスト教神学者と同じで、学問の進歩はありません。

澤田氏の著書には、常に何ページもの参考文献が掲示されていて、無数の従来の発見を統一的合理的な仮説で説明しようとされています。氏の真摯な学問的な態度は高く評価されるべきものです。

そういう姿勢で紡ぎ出されつつある氏の学説、すなわち中国大陸を含め世界各地で見つかる夷の足跡は、海洋民族であった縄文人たちが日本列島から出発して遺したものだという学説は、従来の天動説を打ち砕く革命的な地動説になる可能性を秘めています。

そして、この学説が「定説」として世に広く受け入れられた暁には、我々自身の日本人としてのアイデンティティは、従来とは全く異なった、自信と誇りと先祖への感謝に満ちあふれたものとなるでしょう。その日が遠からずやってくることを、祈念しております。

山本悦夫先生(アジア民族造形学会 会長)

山本悦夫先生

「アイヌは原日本人だった」

私は台湾生まれである。台湾は日本だったので、その頃の台湾の公用語は日本語であった。日本が米国に敗戦した後、80年経った現在、台湾は蒋介石が持って来た言葉、北京語が公用語として使われるようになり、日本語は完全に忘れ去られた。

言葉が変わるのはそれほど容易なことなのだ。この短期的な変容から考えても、縄文語についても同様な変化が起こったと推論できる。アイヌ研究者の中には、北上したアイヌ人が呼んだ山や土地の名が多く残っていることから、縄文人が南から北海道に北上したと考える方もある。私も同意見である。アイヌは縄文人の末裔である。つまり原日本人である。

東南アジアの島嶼群の旅を繰り返すと、ますますそれが肌に強く感じられる。

学生の時に、白老の酋長エカシマトクにお会いしたことがある。立派な方だった。

アイヌを少数民族であるとする主張は完全に政治的なものである。アイヌが補助金の恩恵を受けるのはよいとしても、日本にも少数民族問題が存在すると主張して、外部勢力に利用されるのは避けなければならない。

私の「鳥と蛇の象徴主義」の探求から、龍は中国が起源ではない、とする結論に達した。遼寧省の牛河梁遺跡で発掘された猪玉龍と命名された石片が龍の起源とされているが、これは間違えている。「鳥と蛇」―「龍と鳳凰」の思想は西から来た。同じような誤った解釈がここにもある。

【NEW】マンリオ・カデロ氏(サンマリノ共和国 特命全権大使)

JOMON CIVILIZATION
In our world there are about 40 different civilizations, however some of these civilizations are questionable since there are not enough evidences which are proved or fully recognized. Many studies are still going on nowadays and some professors divide the civilization in two parts. Pre-historian civilization and after pre-historian. I believe we should categorize civilization which has left not only evidences, but also life style, useful theories, peaceful philosophies, and good common sense without making human sacrifices of any kind. There are lists of ancient civilizations, but many of these civilizations were based human violences or primitive traditions which were not necessary, but only kind of superstitions without the necessities of human sacrifices to kill, tortures of human beings or animals. I believe the most reasonable and logical civilization were the Jomon dated about 18.000 years ago in Japan. My humble researches made me understand that Jomon was the most ecological civilization and in the same time reasonable and peaceful in comparison to other civilizations which were considered older or more advanced. The origin of the word “ecology“ is “ecolohia” which is Greek, and it means “to protect oneself’s garden and house”. I think the real ecological people is Jomon era’s people. Because Greek civilization has only 6,000 years. We have to consider that during the long period of Jomon period, there were no violence. Jomon people at the beginning did not eat any kind of animal except sea-food, fish, vegetable and fruits. These kind of nourishment extremely healthy and natural helped to avoid many kind of diseases, illnesses, and made the Jomon people strong and healthy. Dangerous virus and infection were practically unknown, considering that sugar, alcohol, and bad animal cholesterol were also unknown. Jomon people did not have any kind of weapons to kill people, but only to defend themselves from strong and dangerous animals, using bamboo, sharp stones and fire. Their policies were rather simple most to be in harmony with each other, having big respect for women because they were considered like goddess since only women could create babies, human being. The Jomon was the first civilization to start to use earth for ceramic like cups, plates, pots and pans to cook food and also accessories. Most of the Jomon ceramic were women figurines as symbols of life reproduction. Jomon people also realize the space and food productions. If a village did not have enough food or living space, they organized to move in a different place where they could start a new village. Water was essential priority, they did not yet know rice, but they knew many types of vegetables and roots. There were practically NO garbage and they could recycle everything even human excrements were used for fertilizers! Dead people were buried and dead babies buried inside a kind of ceramic. After several hundred years Jomon people started to eat meat cooked in various ways. Jomon started to build houses with wood and straws and around the end of the Jomon era they started their way of writing OSHITEMOJI which is considered the oldest way of writing.

I believe that also the SHINTO philosophy started around the end of Jomon era since only SHINTO as a symbol of GOD is the woman AMATERASU OMIKAMI. I strongly
hope that Jomon civilization will become more popular and a symbol of PEACE and HARMONY in our miserable actual world full of greedy people and wars!

Manlio CADELO

Ambassador of the Republic of San Marino

縄文文明(機械翻訳)
私たちの世界には約40の異なる文明が存在しますが、証明されたり完全に認められたりする証拠が不十分なため、その一部は疑問視されています。現在も多くの研究が続けられており、一部の教授は文明を二つの部分に分けています。先史時代の文明と先史時代以降の文明です。私は、証拠だけでなく、生活様式、有用な理論、平和的な哲学、そしてあらゆる形態の人身供犠を伴わない健全な常識を残した文明を分類すべきだと考えます。古代文明のリストは存在しますが、それらの多くは人間の暴力や原始的な伝統に基づいており、人身供犠による殺害や人間・動物への拷問といった必要性の欠けた、一種の迷信に過ぎませんでした。

最も合理的かつ論理的な文明は、約1万8000年前の日本の縄文時代であったと私は考える。私のささやかな研究から、縄文文明は他のより古い、あるいはより進んだとされる文明と比較して、最も生態学的であり、同時に合理的かつ平和的な文明であったと理解した。「生態学」という言葉の語源は「ecolohia」である。これはギリシャ語で、「自らの庭と家を守る」という意味です。真のエコロジストは縄文時代の人々だったと思います。なぜならギリシャ文明はわずか6000年の歴史しかないからです。縄文時代の長い期間、暴力は存在しなかったことを考慮しなければなりません。

縄文人は当初、海産物、魚、野菜、果物以外の動物を一切食べませんでした。この極めて健康的かつ自然な食生活は、様々な疾病を回避し、縄文人を強く健康に育てた。砂糖、アルコール、悪玉コレステロールも存在しなかったため、危険なウイルスや感染症は事実上未知であった。縄文人は人を殺す武器を持たず、竹、鋭い石、火を用いて強大な危険動物から身を守る手段のみを有していた。

彼らの社会政策は極めて単純で、互いに調和を保つことに重きを置き、女性を女神のように崇敬した。なぜなら女性だけが人間である赤ちゃんを産み出す存在とされたからだ。縄文人は陶器(土器)を初めて用いた文明であり、食器(杯・皿・鍋・釜)や調理器具、装飾品などに土を加工した。縄文土器の大半は生命の再生を象徴する女性像であった。縄文人は空間と食料生産の管理にも長けていた。食糧や居住空間が不足した村は、新たな村を築ける場所へ移住する組織的な移動を行った。水は最優先事項であり、稲作は知られていなかったが、多様な野菜や根菜類を栽培していた。実質的に廃棄物は存在せず、人間の排泄物さえ肥料として再利用されるなど、あらゆるものをリサイクルしていました。死者は埋葬され、亡くなった赤ちゃんは陶器のような容器に納められて葬られました。数百年後、縄文人は様々な調理法で肉を食べるようになりました。木と藁で家を建て始め、縄文時代末期には最古の文字体系とされる「ヲシテ文字」の書き方を確立しました。

私は神道の哲学も縄文時代末期頃に始まったと信じています。なぜなら神道において神の象徴であるのは女性である天照大神のみだからです。願わくば、縄文文明がより広く認知され、貪欲な人間と戦争に満ちたこの悲惨な現実世界における平和と調和の象徴となることを!

マンリオ・カデロ

サンマリノ共和国大使